「わたし」を生きるための、未来への贈りものを。
フォトグラファーとして美しく写すのは、あたりまえのこと。
私の使命は、あなた自身も気づいていない光をキャッチし、 閉じ込めていた「本音」を、本来の姿へと繋いでいくことです。
私たちは日々、さまざまな役割や期待の中で、無意識に自分を演じてしまうことがあります。
例えば、仕事・家庭・社会などで我慢をして自己犠牲をしてしまうこと、ありませんか?
それを繰り返していくと、だんだんと自分がやりたいことや、本当に大事にしたいものが見えなくなっていきます。
ふと気づくと、40代〜50代。
「この先、私は何をしたいんだろう…、このままでいいのかな…」と焦りを感じてしまうことがあります。
けれど、心と外見、言葉を本音がズレたままでは、どんなに美しい写真を撮っても、どこか違和感が残ってしまう。。。
それは、「誰かの正解」という曇ったフィルター越しに、自分を見ている状態かもしれません。
だからこそ、「撮影」の前に、丁寧な「対話」の時間を設けています。
私が提供しているのは、長年、人事・カウンセラーとして培った視点で、あなたの内側にある小さな違和感を紐解き、大切にしたい価値観を言葉にするフォトコーチングです。
心のピントを合わせ直し、安心感に包まれた瞬間にこぼれる表情こそが、その人本来の美しさだと信じているからです。
これからの人生で、私は何がしたいのか。
どう生きていけば満足できるかを見つけ、人生を動かしていくのが私の使命だと思っています。
「みんな違って、みんないい」
あなたが秘めている、あなただけの個性(インナーギフト)にフォーカスを当て、迷いを終わらせること。
お届けするのは、単なる「プロフィール写真」や「記念写真」ではありません。
迷ったとき、立ち止まったとき、「これが、本当の私だった」と思い出し、また前を向くためのしるし。
迷った時も自分を支え、背中を押してくれる、 世界にひとつだけの「未来への贈りもの」を、あなたと共に形にします。
迷いを終わらせ私で生きるコーチング&フォトセッションで「わたし」を生きてみませんか?
◆父の形見のカメラが教えてくれた、世界を愛するということ
私の写真の原点は、父が遺した一台のカメラです。
父が逝去した後、その形見を手に取ったとき、ふと思ったのです。
「父は、このファインダー越しにどんな世界を見ていたのだろう」と。
父が愛した世界を、私も見てみたい。 そんな想いでカメラを構え、夢中でシャッターを切り始めました。
自然や動物、そして身近な人々……。
レンズを通して向き合う世界は、それまで見ていたものよりもずっと鮮やかで、尊い瞬間に満ちていました。
私にとってカメラは、単なる機材ではなく、大切な存在と繋がり、その人の本質を見つめるための「心の眼」そのものでした。
◆「写真は、人の生きる力になる」という確信
その後、2011年の東日本大震災を経験します。 津波で全てを失った場所で、人々が泥だらけになりながら、何よりも懸命に探していたもの。それは、お金でも家財でもなく「家族の写真」でした。
「写真さえあれば、また生きていける」
瓦礫の中から拾い上げられた、傷だらけの写真を見つめる人々の姿を目の当たりにしたとき、私は打ちのめされました。
写真は、単なる記録ではない。人の心を灯し、絶望を希望に変える「生きる力」そのものなのだと。
以来、私は「この一瞬が、いつかこの人の人生を支える光になるかもしれない」という祈りにも似た想いで、シャッターを切るようになりました。
◆人事時代に見た「言葉と本音のミスマッチ」
フォトグラファーとして活動する前は、長年「人事・人材育成」の現場にも携わってきました。 そこで出会ったのは、誰かの期待に応えようと必死で「役割」を演じ、自分の本当の顔を忘れてしまった多くの人たちです。
「本音を閉じ込めたままの顔は、どこか寂しく、もろい」
人事・産業カウンセラーとして、長年一人ひとりの人生に深く向き合ってきた経験。
そこで培った独自の視点を大切にしながら、私は、その人が幾重にも重なった『フィルター』を外し、『わたし』に戻る瞬間に寄り添いたい。
表面的な「映え」や「理想像」を写すのではなく、その人の内側から溢れ出す、嘘のない、体温のある美しさを。
それこそが、何十年先も色褪せることのない、その人の人生への賛歌になると信じています。
今私は、フォトコーチとして、対話と写真を通じ、 あなたが自分自身を誇らしく想える「未来への贈りもの」を届けていきます。